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気品溢れるケリー
■グレース・ケリーの華麗なる人生
1929年にアメリカで誕生したケリーは、建設業を営む父親とモデル出身の母親の間に生まれ、幼年期は裕福な生活を過ごしていました。幼い頃からピアノやダンスを学び、演技に興味を持ち始めたケリーは、高校卒業後に女優を目指してニューヨークへ行き、夢を実現するために学校へ入学し演技を磨きます。 その後、数々の映画やテレビ番組に登場し、25歳の頃に出演した「喝采」でアカデミー賞女優賞を受賞します。そんな中、カンヌ国際映画祭で出会ったモナコ大公レーニエ3世との結婚を境に、女優業を引退して公妃へと転身したため、シンデレラストーリーとして世界中から注目を集めたのです。 しかし、結婚後は公務が忙しい夫とのすれ違い生活、さらにアメリカ人に対する偏見などが重なり、ケリーは自分を見失いがちになっていました。その後、女優復帰のオファーが届き心が揺れていたケリーですが、モナコ公妃として愛する夫や子供、国民を守ると決意し積極的に公務に励みました。そんなケリーの懸命な姿にモナコ国民も賞賛し、憧れの存在として大きく成長したのです。 そして、1982年車の運転中に、脳梗塞を発症し交通事故に遭ったケリーは、52歳という若さで帰らぬ人となりました。ケリーの突然の事故死は世界中に大きな衝撃を与えましたが、現在に至っても彼女は「20世紀のシンデレラ」として語られる伝説的な人となったのです。
■エルメスの高級ブランド「ケリー」の由来
モナコ公妃となったケリーは、ゴシップ記者に狙われる存在でした。また、婚約の翌年にケリーは妊娠し長女を出産しますが、ある日向けられたカメラを避けるために、持っていたバッグで大きなお腹を隠したのです。その際に撮られた写真がご懐妊のニュースとして取り上げられ、この時に偶然持っていたバッグが「グレース・ケリー愛用のバッグ」として全世界に広まりました。 そのハンドバッグは、エルメスが1935年に発表した鍵付きのバッグで「サック・ア・クロア」というモデルを原型にしたものです。しかし、エルメス社はこのチャンスを逃すまいと、モナコ公国側と交渉をして「ケリー」という呼び名のブランドを誕生させたのです。現在は、エルメスを象徴するアイテムとして高い支持を受けていますが、このブランド名の由来は偶然のハプニングから生まれたのでした。
- 2014.12.08
- 11:14
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